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鬼上司だった「織田信長」から学ぶ上司像

現代ならば鬼上司の織田信長から学びたいこと

織田信長というと、戦国時代にあってその独創的な考え方、傍若無人ぶりなどを見て、嫌いという人も多いですし、逆に大ファンという人も多いです。
独特のセンスと高いリーダーシップで戦国時代を駆け抜けた人であり、また天下統一にもう少しという所でその命を壮絶に亡くすなど、彼らしい人生だといわざるを得ない人生を送ってきた戦国武将です。

女子供も関係なく打ち払ったなどの話を聞くと残虐な性格の独裁者という感じがするのですが、その反面、信長がこの様に残した功績は高く、またビジネスという面でいえば、独創的なセンスといい、そのリーダーシップといい、上司という立場、経営者という立場からすると、非常に魅力的な存在だと感じます。

こんな上司は嫌、といわれたらやっぱり織田信長

全国の大名が領土争いに必死になっている時に信長だけは天下統一を目指した、という所だけでも、信長という人がどんなに高いセンスを持っていたか、良くわかります。
羽柴秀吉や柴田勝家などの非常に能力の高い部下を持ち、織田家はドンドン勢力を伸ばしていきます。

常勝軍団の中でそのリーダーとして牽引するという事を見ると、素晴らしいセンスを持っていた、リーダーとしての能力が高かったといえますし、上司にしたい歴史的人物のランキングでは常に上位にランクインします。
しかし実際に信長の行動を見てみると、冷酷な一面もあり、能力がないとみなした部下については容赦のない厳しい仕打ちを行っていますし、失敗を許さないという緊張感を常に醸し出していた上司という事で、この人には上司になってほしくないという典型的な存在ともいえます。

無茶ぶりもひどい信長

嫌な上司の典型ともいえる信長といえるのが、無茶ぶりからもうかがえます。
前日から長い軍旗を行い結果、結論はないとしておきながら突然深夜に一人で進撃し、それを知った部下が必死に後から追いかける、これによって今川本陣への突入というものすごい出来事が起こっています。

また水が雨でかなり多くなっている濁流の川を早く渡れと命じる、さらに安土城が完成し家族を呼び寄せたのになかなか来ない部下に対して、もれなく家を放火、強制的に引っ越しさせるなど、まさしく独裁者です。
信長を恐れている家臣たちは殺されないように普段から必死に信長につかえますが、中には敵対する石山本願寺の顕如に内通牛謀反を起こしたものもいます。
村重という信長の家臣ですが城に残った村重の家族、上級過信の妻子などはすべて信長に取られえられ、結局、全員処刑、下級家臣は家に閉じ込めて放火し焼き殺したという話も残っています。

しかし一方で優秀な人材の確保には敏感でみてのとおり、信長の周囲には常に優秀なメンバーが顔をそろえていました。
この中で出征争いが繰り広げられたものも、結果を出さない限り追放という信長の厳しいペナルティがあったからです。

こうした信長を今の時代に、上司像として学ぶことはできないと思えますが、大勢を抱える企業のトップとしては、時に鬼軍曹的な存在となる時もありますし、そうならざるを得ないという事もいえます。
何もかも真似することはできませんが、信長と部下の関係、その中にあった出来事を知っていくと、ビジネスの中に加える事の出来る能力が多々見られます。
上司、部下として信長という人に詳しくなることも必要かもしれません。